「自分頑張っている」と認めたとき、世の中の常識がどうでもよくなった

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悩んでも誰にも相談出来ず、会社をクビになって5年間迷走し続けたライターのじょーです。

現在は自閉症の診断を受け、ライターの仕事をはじめました。

そんな僕は社会に出てからずっとある悩みを持っていました。

なぜ自分は仕事が出来ないのか?

という悩みです。

周りが当たり前に出来ることが全く出来ず、役立たずと言われてきました。

悔しいけれど、何も反論出来ませんでした。

でもそれは誰にも相談できない悩みでした。

親しい友人にも。家族にも。会社以外の人には一切その話はしませんでした。

「自分が努力していないんだ」と言われるのが怖かった。

何より、そう言われたときに反論出来ないと自分自身がそう思っていたからです。

でも今はその考え方が間違っていたんだとはっきりと思っています。

確かに当時の僕は頑張っている。でも努力の仕方は間違えている

そう今は思えています。

「努力してないから」頑張るしかないと思った。

何で誰にも相談できないんだろう?

「多分相談しても無駄だ」という気持ちもありました。

周りは自分よりはうまくいっているように見えました。

もちろんそう見えるだけで実は悩んでいたのかもしれません。それは今となってはわかりません。

ただ、自分よりも低レベルで悩んでいる人はいないように当時は思えました。

だから周りよりできない理由は「僕は努力が足りないんだ」と思っていました。

だったら、努力して頑張るしかないじゃないか。そう思っていました。

会社でどれだけ頑張ったつもりになっても、自分より要領よく同期は成長していくし、後輩にもどんどん抜かされていく。

給料は手取りで20万を超えたことは一度もありませんでした。

だからなのか今まで会社で働こうとしていた5年間、転職して、クビになり、アルバイトを転々とする生活になってもずっと「お前は努力が足りていないという考えはずっとずっと呪いの様に消えませんでした。

「自分は努力してる」と認められたとき、選択肢が広がった。

頑張っているつもりなのに成果が出ない、そう悩み続けていました。

会社を転々としたら何か変わるかと思ったけれど、そんなことはありませんでした。

むしろ働く場所も業種も全く違うのに、言われるのは不思議なほど似通っていました。

・周りが見えていない

・指示を正確に理解しろ

・もっと成果が出るようにやれ

それを言われるのはわかっていても、どうしたらいいのかはわからないままでした。

とは言えずっと試行錯誤してきましたし、自分の中では少しは成長してきたつもりでした。

でも、周りから言われる言葉はびっくりするくらい何も変わらなかった。

確かに結果は出せていない以上「もっと頑張れ」と言われるのは仕方がない。それも認める。

でも本当にそれは「頑張っていないと言えるのだろうか

でも、ここまでやって「努力不足だ」なんて理由で終わらせていいんだろうか。

僕なりに考えつく手は尽くした。

ありとあらゆる検索ワードを駆使し、指示されたものを忘れない方法や周りを見る方法を模索した。

ただひたすら自分が仕事が出来るようになるためにはどうしたらいいか考え続けてきたこともあった。

社会人になって結果の伴わない努力は無駄だと思い続けてきました。

それを自分に言い聞かせ続けるのも正直もう限界だった。

自分は頑張っている!

なぜなら成果は出ているから。ミスの頻度は確かに減ったから。

周りと比べて大したことじゃないし、評価もされていない。

周りからどう言われても自分が頑張ってやったことを自分だけは否定しちゃいけないんじゃないかと思いました。

行動はし続けているんだから。誰にも気づかれていなかったとしても。

その瞬間ほんの少し世界が変わった気がしました。

努力の方向を間違えたら、成果は出ない。

自分が頑張っていると認めたときに一つ大きく見方が変わりました。

自分が頑張っているのに上手くいかないのは頑張る方向性が間違っているんじゃないか

ただただ、「もっと頑張れ」とだけ意識して頑張ってもそれは成果が出ないんじゃないか?

世間一般で書いてある方法をいくら試行錯誤しても成果が十分に出ないのは「自分が世間一般」とは違うからじゃないか、と思い始めました。

決してネガティブな意味ではありません。

この答えが出てからちょっとずつではありますが、自分は前向きさを取り戻していきました。

発達障害の検査をきちんと受けようと思いました。

自分が本当に人感じ方が違うのか確かめようと思いました。そして、そのための対策を考えようと思いました。

出来ないことが出来ないのはしょうがない。

ちょっとずつ成長さえすれば自分にとっては成功だって思いっきりハードルを下げました。

その代わりにできることは何か?

やりたいことで出来そうなこと、出来るようになりそうなものは何か?

そう思考を考えたときに少しずつ出来ることを増やしていきました。

少しずつやりたいこととやれることが見えたとき、自分のことを少しだけ肯定できるようになりました。

自分を信じられないと、やりたいことを思い切ってやれない

こうやってみると、もう一つ気づいたことがあります。

自分のことを本当に信じることが出来なかったから周りを信じることが出来なかったんだなあと。

こんなことも出来ない自分が「やりたいことを仕事になんて出来るはずがないと思っていました。

今思えば逆でした。

やりたくないことや興味のないことを仕事にできるわけがないんだから「やりたいことを仕事にする方法を考えるべきでした。

「やりたいことをやる」ってエネルギーが必要だ。

今までは「誰かに必要とされている」感覚がただ欲しかったけれど、

今では「僕が誰かを必要としている」感覚を育てていこうと思いました。

ずっと「やれること」を模索し続けていた僕にとって、「やりたいことをやれるように」というのは結構思い切った決断です。

「何がやりたいんだ」って自分自身で見えなくなっていました。

ちょっとずつ「やりたいこと」をやり始めていると、やりたくないことや矛盾にぶち当たります。

それはめんどくさいし、いろいろと試行錯誤してみなければいけない。

今までの僕は他者基準にして僕はそこの矛盾から逃げようとしていただけなんだと気づきました。

他者目線を捨てて、自分目線で生きるために、「今日は自分はできることを目いっぱいやった」って思える感覚を大事にしたいと思いました。

そうしたら、うまくいかなくても全然後悔しないから。

次にどうしたらうまくいくか考えることができるから。

そうやって前向きに生きれるようになってはじめて、僕は僕のことを好きになれたような気がします。

ほんのちょっとの成長をかみしめられない人にはこちらの本もお勧めです。

本当に小さなステップや小さな行動を大事にするっていうことってこういうことだなといつも思っています。

そんなことをふわっと優しい語り口で書いてありますので、ぜひご一読を。

ではでは!

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