人と比べてばかりの僕に優しさの難しさと美しさを教えてくれた本。

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「意識高い」人が苦手だった。それを自分に合わせようとされるのがうっとうしくて仕方がなかった。

大学生の頃、僕は自分を変えたくて背伸びをしていた。人見知りで、どもり癖があり、何を喋ればいいかわからなくなってしまう僕は、人と関わる機会を作り、無理やりでも矯正しようとした。

それは「やりたいことをやる」というより、「嫌いな自分を変える」という後ろ向きなモチベーションだった。でもそうじゃない人間がいた。「やりたいことをやり、人ともうまく関係を築ける」僕よりはるかに器用で、楽しそうな人間がいた。そういう人は輝いているように思えた。僕もそうなりたかった。でもそうしようとすると苦しくなった。

人見知りなのに、どんどん人と向かっていった。だんだん話すのが億劫になってきて、「やりたいことをやる人」だんだん妬ましくなってきた。世の中の成功者はみんなそういう人間なんだと思うとそうじゃない自分がみじめだという気がした。

そうすると、自分と同じ空気を持った人間と、自分より頑張っていない人間を見つけると安心するようになった。そういう人間は話していると自分のことより、相手のダメなところを見つけるのがうまい。僕自身がそうであるように。


長い間そうであったから、僕はこの2人の対談を見て衝撃を受けた。2人ともそのどちらともとはかけ離れていた。お互いに対等であることもそうだけれど、何よりもう一人の河合さんにすさまじい衝撃を受けた。

その人はカウンセラーだった。あるとき、高校生の子に一言も話せないまま帰ってきたという。いくつか会話をしたけれど、一切乗らずにいたようだ。そのときに「あかん、僕より偉大な奴が来た」と思ったそうだ。そして「今日はあまり話しできへんかったけど来週来る?」と言ったら相手はニコーっとして「ハイ」と言ったそうだ。

ありえない。僕は思った。

このやり取りが成り立つにはいくつもの前提がある。先生の方がそう思うためには自分と相手が対等に思ってないと成立しない。黙ったまま2人でい続けることはかなり難しい。喋りたくなるし、特に河合さんからしたらお金をもらっているという責任もある。

だから相手がそれでも喋らずかつ相手に意識を向け続けたことはありえないことだ。「僕より偉大な奴が来た」っていう言葉は相手に意識を向け続けてきたからこそ発することのできる言葉だ。その意志をくみ取ったから高校生は心を開いたのだ。多分だけど、僕はそう思った。

対等であることの難しさ、心構えなどをこの二人のやり取りから感じられる。そして、そうやって共鳴することで響く物語がある。その

「博士の愛した数式」の作者でもある小川さんが河合さんのその話にそっと寄り添う姿勢が際立つ。二人の対話が優しさにあふれているのは僕の気のせいではないと思うのだ。

僕は「優しさ」は相手に真剣に向き合うことだとこの本に教わった。でもそれをよく見失ってしまう。自分に言い訳したくなるし、相手に理由を押し付けたくもなる。自分にも相手にもきちんと優しくすることの難しさはやればやるほど感じる。

ただこの本は僕の中の意識を確実に変えた。自分が「やりたいこと」をやるために、意識高くある必要も、周りと比べて卑屈になる必要もないんだとおしえてくれた。ささやかで優しさに満ちた2人の優しさの在り方を考える指針になっている。

余談ですが、このブログのタイトルである「君と僕の物語探検隊」はこの本のタイトルや内容にかなり影響を受けています。読み手のあなたと僕が一緒に共鳴して成長する物語であってほしいという意志をこめました。ちょっと中学生の子供の詩みたいな恥ずかしさもあるけど、かなりのお気に入りです。笑

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